暮らし

綾姫様が辿り着いた時、姫小川ではどんな暮らしをしていたのか?ちと気になったので調べてみました


庶民の暮らし

住居と集落

静岡市登呂遺跡

弥生・古墳時代と同じような竪穴式住居

鹿乗川の流域の沖積低地の微高地上に柱を立て、カヤやアシを縄で結び付けた住居 柱は碧海台地の森から、クヌギやカシなどの芯付きの木を使っていた

姫下遺跡は綾姫様が暮らした時期にはすでに無くなっていたようで、小川の加美近辺に集落は移動していたかもしれません

また当時は鹿乗川沖積低地に住んでいましたが、室町時代の六名堤が作られたことを機とし、洪水以外が増えたことで、集落は碧海台地上に移ったと思います

碧海台地の森は、住居や燃料、道具作りに使われ2次林的になっており、樹を求めやすいように集落は時代ごとに樹木が育つ30年周期ごとに鹿乗川流域を移動していた


衣服

静岡市登呂遺跡

麻や綿の布の貫頭衣



農耕

静岡市登呂遺跡

鹿乗川や矢作川の流域は浅く緩やかな流れで多くは湿地

この湿地を利用して湿式稲作を弥生時代から始めていた

 

矢板や杭で補強した畦(あぜ)できちんと区分され、用水路や堰(せき)も整備

干し草などの肥料は田下駄(たげた)や大足(おおあし)によって田んぼに踏み込まれ、籾(もみ)は田んぼに直にまかれ、稲が実ると石包丁で穂先だけ刈り取り、

脱穀(だっこく)には、木臼(うす)と竪杵(たてぎね)などが使われ、穀物は貯蔵穴や高床式倉庫に保管していました

 

田を掘り起こすために鍬やスコップのような道具を使っており、材料はアカガシ属の木が主体であった

幅のある鍬には樹齢100年ほど直径60㎝ほどのアカガシが必要であり、古墳時代には碧海台地のアカガシは伐採しつくされ、山間からもたらされていただろうと言われている

飛鳥時代にはすでに鍬の先端には鉄が使われていた

 

他の遺跡では牛や馬を使っていたところもある

 

鹿乗川流域遺跡 特に姫小川近辺では現在の鹿乗川の東、東西幅10数mしか調査されていないので、田んぼの発掘までには至っていないようです


狩猟 漁

(他の古墳時代の遺跡の調査結果より)

 

槍や弓矢、落とし穴などの罠を使っていた

犬も使ったりしていたみたい

 

動物の骨や牙を加工した釣針、網を使った漁が行われ

土錘、石錘などのおもり、木でできたウキも使用

 

幸田町民族資料館では、幸田を覆っていた大きな菱池で漁をしており、土呂の漁師も矢作川で漁をしていて、同じように姫下集落でも矢作川や近隣の池で漁をしていたのでしょう

舟は丸太をくり貫いたモノを使っていたかと思います(帆はあったのかな)


玄米や矢作川や鹿乗川で網を使い魚を取ったり、碧海台地で鹿や猪を狩り、ドングリ、アワやヒエなどの雑穀を採り、土器に醤(ひしお)とよばれる発酵食品などで煮炊きして、一汁一菜が基本としていた


土器は碧海台地の2次林から伐採した木で焼いていた

幸田町民族資料館には、土器を焼いていた場所などが展示されており、姫下遺跡では道具などを自給自足しているとのことなので、土器も近辺の土や薪を使って作っていたかと思います


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姫下遺跡から出土した木の木取り方法で碧海台地から伐採したか、山奥から運んできたかを推定するグラフ

 

コナラやクリ、クヌギなどを碧海台地から

スギやヒノキは運んできたみたい

 

アカガシは当初碧海台地にあったけど、採り尽くされて山奥から運んできたみたい


綾姫様の暮らし

御陵

綾姫の御陵に関した文章はどこにも残っていないが、飛鳥時代の位の高い人が住んでいた屋敷の写真である

都から都築姓の従者がいることから、都の住居と同じような御陵を建てていたと考えられるが、あくまでも住まいであり、写真のような行政を行う建物ではないから、もっと小さく質素だったかと思う

 


御陵を復元してみるとしたら

 

平安時代ならまだしも、奈良、それ以前の飛鳥時代となると建物の情報はほとんど残っていない、せいぜい遺構の穴とか石ぐらいしか残っていない

その上の建物はほぼ想像に近いようである

 

ある程度言えることは、

寝殿造りの原型、檜皮葺、濡れ縁、丸柱、板張りの床、和紙はまだない、御簾、天蓋、寝台、ウルシはあった、畳があったかはあやしい 

ぐらいしか情報がない

奈良時代とか、平安時代から想像するしかないか?

 

ちなみに丸柱:単に木の皮をはがしたものではなくて、木を割って乾燥させて、八角柱に作り直して丸柱にしたようで、角材より手間のかかった高級品らしいです

 


衣服と食

庶民と比べ、おかずも多く、白米を食べていたと思われる


衣服は大陸からの影響が色濃い時代

資料としては高松塚古墳の壁画ぐらいしか残っていない

 

写真は乳母のイシが着ていたかも?

綾姫は天皇の娘だからもっと豪華だったのでしょう

 

 

キャラクター作りではちと唐服は今一つなので、時代考証をあえて無視して、奈良時代ぐらいを想定しましょうかね。