今姫小川は1000戸を超し、姫小川町は住宅で一杯になっています。
浅間神社の建つ姫小川古墳の頂から周りを見渡しても、建物が視界を遮り、昔の地形やうっそうとした林を感じることはできません。
埋め立てられ整地され、昔の面影はほとんど残っていませんが、自転車で昔ながらの細い道を走ったりすると、微妙な地形の起伏や昔の小川の流れを感じさせる場所を気付くことがあります。
矢作川や鹿乗川も治水が進み堤防が築かれ、昔の川の流れを想像するのは困難でしょう。
それでも、鹿乗川にはカワセミがいます、信じられないでしょうけど。
綾姫伝説を知り、当時はどんな風景でどんな暮らしをしていたか?
少しばかり思いを馳せてみました
今の矢作川を見ても昔は想像できないかと思います。
矢作川は、
こんな治水の歴史がありました。
これを逆に辿ってゆくと、こんな矢作川を想像できるかと思います。
西暦645年の矢作川
と思います 復元図はもっと細かな川があったのでしょう
矢作川&鹿乗川流域 想像図
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姫小川は碧海台地の左端にあり、台地の縁に沿って鹿乗川が流れています
今は治水でほぼ直線上になっていますが、鹿乗川流域遺跡群の発掘調査が進み、かなり蛇行して流れ、その川沿いに集落があったとわかってきました。
ちょうど流域遺跡があった時代、綾姫が姫小川に辿りついた時代と重なります
姫下の南には小川町加美、志茂から流れる水で湿地ができていました
今で言う鹿乗住宅地です
この湿地にはアシが生えており、そのアシを刈って湿地に埋めて田を作っていたと聞いています。
その水に埋めたアシが年数センチ沈下していたとのことです。昔は悪原(あはら)と呼んでいました。
この亜原には鹿乗川の水も流れ込んでいたのでしょう
姫小川周辺 想像図
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姫郷地名鑑や姫小川村誌などを見ると色々と御殿の位置などのヒントが隠れています。
また、町の字名などを見れば、更にわかってくることがあります。
御殿の位置は昔の姫小川城のあった場所かと思います。
敷地も大まかな想像ですが、西門、大門があり、その門に関した字名も残っています。
芝山:綾姫様を火葬した際に使った芝:カヤやチガヤの生えていた場所
北門原:西門の有った場所の北側
西門原:西門から遠く離れた大門、櫓のあった場所の西になるのでしょう。
遠見塚:櫓のあった場所
綾姫御陵周辺 想像図
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石器時代の碧海台地はうっそうとした広葉樹の森だった
弥生、古墳時代に集落ができ、人の営み(住居、農耕、道具・土器づくり、煮炊き)のために木を必要とし、3㎞ほどの範囲の樹木を伐採していた
特にアカガシは農耕の鍬作りに徴用され(100年60㎝)ほとんどのアカガシは古墳時代に採り尽くされてしまいました
他の雑木は30年ほどで再生され、柱や道具作り、煮炊きや土器作りの燃料に使われたと思われる
(後の寺や城作りで根こそぎ採り尽くされ、碧海台地は保水力もない荒れ地となり、草や松ばかりになったのでしょう)
台地 アカガシ、クルミ、ムクノキ、シイ、クヌギ、クスノキ、エノキ、コナラ、竹、ススキ、チガヤ
湿地 ヤナギ、葦
鮎、ウナギ、ハヤ、ウグイ、大和鯉、フナ、メダカ、テナガエビ、モクズガニ
鹿、猪、野ウサギ、イタチ、キツネ、キジ、マガモ
今でも近所の畑でキジやイタチなど、野ウサギは八面山で見ることができます
めだかも結構いますが、場所は教えられません
いつかはBlenderとか使ってCG映像作りたいですね
姫小川町 浅間神社
444-1161
愛知県安城市姫小川町姫40番地
町内会第2公民館(土曜日13時から15時)
TEL0566-
宮係 永見幸久 090-2929-1140
宮係 榊原恒明 080-5124-5847
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