古墳

「三河国(みかわのくに)、ここにはじまる」

 

桜井古墳群は、矢作川流域の古墳時代前期を代表する古墳群です

これまでに、碧海台地の東縁部を中心に、大小20基ほどの古墳が確認されています多くは円墳ですが、60m以上の前方後方墳の二子古墳と前方後円墳の姫小川古墳の北群と南群で別れています

 

前方後円墳(近畿地方の勢力の影響を示す)と前方後方墳(西三河の在地勢力が採用していた)が同時に存在している古墳群であることが特徴ですていた)が同時に存在している古墳群であることが特徴です


姫小川古墳


姫小川古墳

昭和2年 国指定

前方後円墳

 

古墳時代前期中葉 4世紀中葉

 

墳丘長65 m以上、後円径38 m、後円部高6.0 ~ 7.0 m、

前方部長27 m、前方部前端幅19 m、前方部高3.0 ~ 4.0 m、くびれ部幅15.5 m


孝徳天皇皇女綾姫様が姫小川に配流された際の大化年間(645-650)に御殿を築き、白鳳10 年(670)皇女逝去の際に陵を造り(姫塚)、その墳頂に小宮を築き、その後の再建時に墳頂が狭いため土を運んで右陵を造営し、そこを皇墓浅間宮と言い伝えたという伝承がある

(「姫小川村村誌」(地誌材料調査)1888、『安城市史』資料編1973所収、『姫小川の由来』1975)


安城市姫小川町姫40



姫塚古墳


姫塚古墳

昭和40 年 市指定

南北20 m、東西18 m、高さ3.75 mほど

 

墳丘の西側と南側で周溝とみられる溝状遺構が確認されている。

墳頂は削平、墳丘の北東側も削り取られています


綾姫を埋葬した場所

綾姫が着ていた十二一重に習い、12段に形作られた

墳頂には白鳳10 年と書かれた五輪塔がある


安城市姫小川町姫49



獅子塚古墳


獅子塚古墳

昭和40 年 市指定

東西26 m、南北28 m、高さは約5mの後円(方)部が

残る。下水道工事立会調査で墳丘の北西側と南西側に周溝とみられる溝状遺構が確認されています

 

壺形埴輪らしき埴輪片が出土


綾姫の乳母 いしが埋葬された場所

 

前方後円墳らしいが、前方は削り取られてしまっている


安城市東町獅子塚



王塚古墳


王塚古墳

南北約14 m、東西約22 m、高さ2.5 mほど

 

周囲はかなり削られている

住宅に囲まれて気付きにくい場所にあります

 


〒444-1161 愛知県安城市姫小川町姫123



其の他

八ツ塚古墳 銅鏡

●八つ塚古墳 

 田の中にあったが、昭和40年に開墾によって消失

 古墳時代前期後葉から中期前葉(4世紀後葉から5世紀初頭)

 銅鏡が開墾時に出土

 石室を持つとの伝聞がある。

 

●二子古墳

 昭和2年 国指定

 前方後方墳

 桜井古墳南群 北群


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