より詳しく

姫小川古墳は古墳時代前期に作られたようで、作った人たちは鹿乗川の流域に住んでいました。

 

綾姫が姫小川にたどり着いた時期、村人は弥生時代と同じような生活で、竪穴式住居に住み、貫頭衣を着ていたと考えられます。

既に稲作(湿式)を行っており、矢作川と鹿乗川が作った沖積低地を使って米を作り、時には西の碧海台地へ出かけ鹿や猪などを狩っていました。

 

そんな頃に、高貴な方が流れ着いたとなれば、大騒ぎになったでしょうね。


碧海台地は明治用水が引かれたことで、至る所田畑で埋め尽くされていました

今は区画整理が終わり、姫小川町は至る所住宅になっています

鹿乗川と矢作川の低地は矢作川に20m近くの堤防が作られたことで、豊かな田畑がまだ残っています


しかし綾姫様がたどり着いた時代は、堤防もなく、広大な湿地、その中を網目状に走り矢作川は緩やかな流れだったでしょう。

碧海台地は緑豊かな原生林が覆っていたかと思います。
(古墳や集落を作るために、かなり樹は切り倒されていましたが)


矢作川などの治水を逆に辿り、綾姫様がたどり着いた時の風景を想像しながら、思いを馳せてみてください




其の他の綾姫資料

姫郷地名艦

姫郷地名鑑以外の文献集になります


当時の風景

西暦645年頃、今は住宅ばかりで当時を知る術はありません。ちと真面目に想像しました



古墳

姫小川古墳 前方後円墳

姫小川古墳、綾姫の姫塚古墳、乳母のいしの獅子塚古墳、古墳を作った人たちの集落の遺跡の話です


鹿乗川流域遺跡群

鹿乗川 姫下橋

鹿乗川沿いに南北4㎞の遺跡群を鹿乗川流域遺跡群と呼びます

 

古墳造営の人たちが住むとともに、戦国時代まで沖積低地に住んでいました

写真は浅間神社南東の木造姫下橋