姫小川町でお祀りしている神様の紹介です。
家系図を見てたら、母と義理の娘の関係の神様を祀っていたとは、少しびっくり。
難産が続いて木花咲邪姫命様になったのは、意図してたんでしょうかね?
いつかはオリジナルのキャラ作りたいです (不信者と言われますけど)
天照大神の命を受けて、豊葦原の中つ国を治めるため高天原から天降りする事に成っ天孫の彦火瓊瓊杵尊は、一行を率いて行く途中、国つ神の猿田彦命の案内を受けて筑紫の日向の高千穂に舞い降り、吾田の長屋の笠狭崎で絹を被った美しい女性に出会いました。
名を聞くと、「国津神大山祇命の娘、木花咲耶姫命である」とこたえました。
瓊瓊杵尊が結婚を申し込むと、大山祇命は大変喜び、姉姫の石長姫ともども差し出した。
しかし、容貌に劣る姉姫は送り返されました。
この事を悔やんで大山祇命は言う。
「天孫の御子に、石のごとく永遠の命をもたらすように、石長姫を差し出したのに」。
木花咲耶姫命は、瓊瓊杵尊と一夜の契りを結び、身ごももってしまう。
瓊瓊杵尊は自分の子であるかどうかを疑って
「国つ神の子ではないか」
その言葉に驚き嘆き木花咲耶姫命は、嫌疑を明かすため、土を塗りたくった産屋に入り火を放ち
「生まれる子が、国つ神の御子ならば焼け死ぬであろう、天孫の御子ならばたすかるでしょう。」
燃え盛る火の中で無事に生まれたのが、火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)でありましす。
火遠理命は一代目神武天皇の祖父神にあたります。
浅間神社の「アサ」は阿蘇山や浅間山などの火山を、「マ」は白さ清らかさを意味し、ひとたび噴火するとその猛々しさへの恐れとなだらかにさがる稜線と頂上積もった雪の全容を称えるものです。
浅間神社の起源については日本武尊が東征のおり富士山に立寄られ時、その美しい富士山見て「祭神として木花咲耶姫命を奉るべし」と遥拝した事から奉られ、その後噴火は鎮まったとされています。
画像は木華開耶媛 堂本印象作 (明治24年~昭和50年(1891-1975))
木花咲耶姫命は、燃え盛る火の中で無事出産を成し遂げた事から火を鎮める霊力を有するとして火災・安産・航海・漁業・農業・機織り(産業)の守護神としてその神徳を祟られています。
あら波海ばら
幾千里
引き揚げられし
萱の口
里の情けに
救われて
立たづむそばに 蝶がまう
見渡すばかりの 蓮花じで
美空で唄う
鳥でさえ
日暮れに帰る
思いたくす
わが里に
都鳥
木の花咲くや
その下で
こもれ日うけて
にこやかに
遊びたわむる 母子らに
花びら舞いちる 今もなお
(詠み人しらず)
木花咲邪姫命は豊玉姫命の義理の母になるんですな
豊玉姫は海神(豊玉姫の父)の宮にやってきた火折尊と結婚し、火折尊はその宮に3年間住んだが、火折尊は故郷のことをおもってなげいた。
これを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に「天孫悽然として数(しばしば)歎きたまう。蓋し土(くに)を懐(おも)いたまうの憂えありてか」と言った。
海神は火折尊に助言を与え、故郷に帰した。帰ろうとする火折尊に、
豊玉姫は「妾(やっこ)已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ」と言った。
のちに豊玉姫は約束の通り、妹の玉依姫を従えて海辺にいたった。出産に望んで、豊玉姫は火折尊に「妾産む時に幸(ねが)わくはな看(み)ましそ」と請うた。しかし火折尊は我慢できず、ひそかに盗み見た。豊玉姫は出産の時にヤヒロワニ(『古事記』では「八尋和邇」、『日本書紀』一書では「八尋大熊鰐」)となり、腹這い、蛇のようにうねっていた(『古事記』)。
豊玉姫は恥じて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と名付けたという。 (wikipediaより)
安産
航海安全・大漁
浦島太郎のお話の乙姫様のモデルともいわれています。
なんで漁業の神様?
むかーしは
鹿乗川の東、矢作川一帯は幸田町や岡崎まで舟で行き交いできような、広大な浅い湿地だったのでしょう
(別ページで地形のこと書いてます)
飛鳥時代はすでに稲作も行っていましたが、そんなに収穫が安定している訳でもなく、狩猟もしていたとは思いますが、多くは矢作川で捕れる魚を捕って暮らしていたのかと思います。
で漁業の神様、豊玉姫命だったのではないでしょうか?
猛々しくも荒々しく、霊験あらたかな神の意として「あらがみ」と呼ぶ場合もあり、厨(くりや)を守護する「こうじん」とは異なる神として区別する場合もあります。
時に荒神を祀る社(やしろ)を荒神殿(こうじんでん)と称したり、そこで執り行われる鎮魂舞踊、または社ないし場自体を荒神神楽(あらがみかぐら)と呼ぶケースなどが見られ、これは地域や信仰によって異なり、台所を守る神について「あらがみ」と称する例も多く、読みが一定しないようです(wikipediaより)
鍛冶、土器、消防、火の神として知られ、火が全てのものを浄化することから祓いの神、更に全てのものを燃やし尽くすことから、物事を初期状態に戻す帳消しの神
猛々しくも荒々しく、霊験あらたかな神。
とは言え仏教から来ている神様ですけど。
姫小川では浅間神社の横にある小さな祠で、由緒は不明になっています。
明治後半に浜松市の秋葉山本宮秋葉神社より分霊頂きました
伊邪那岐・伊邪那美二柱の神の御子で火の主宰神です。火の光は時間的、空間的に人間の活動範囲を拡め、その熱は人間に冬の寒さも克服させ、食生活を豊かにし、そのエネルギーは工業・科学の源になると共に、その威力は総ての罪穢れを祓い去ります。光と・熱と強いエネルギーを与えられたこの神は、文化科学の生みの親として畏敬され、崇められてまいりしました。
火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されています。(wikipediaより)
道路拡張工事のために少し移動させたとき、台座から亀の像が出てきたのだが、なぜ亀なんでしょう?
亀と言えば浦島太郎、浦島太郎と言えば、乙姫様
乙姫様=豊玉姫命
浅間神社の前は豊玉姫神社
こじつけでしょうけど
一二の大願を発して、衆生の病苦などの苦患を救い、身体的欠陥を除き、さとりに至らせようと誓った仏様
子授け・安産、病気平癒、なかでも「がん封じのお薬師さま」として篤く信仰されているとのこと
当初は浅間神社内に祀られていたが、明治の神仏分離で古墳の前方部に社を建てていました。しかし老朽化がひどく、昭和50年に古墳の外側に移築されました。
薬師如来様
仏教にはいろんな宗派があります。
この薬師様、特に宗派に属していません
あるとしてもご本尊として祀られている宗派は真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗ぐらいです
浄土系では都合が悪かったのか?
地蔵菩薩は、忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる
慈悲深く肝要で、妊婦の安産を守護すると言う「子安地蔵」、災難にあった人の苦しみを地蔵菩薩が身代わりになって引き受けてくれる「身代わり地蔵」や、集落や村の境界や道の辻を守る「道祖神」としても知られています
特に姫小川のお地蔵さんは「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられていました。
毎年8月に地蔵祭を姫小川では行っています
地蔵菩薩も特に宗派はないようです
でもネット上では
「浄土真宗を除けば、どこの宗派でも地蔵菩薩の存在は経典上でも認めていますから、こだわりはないはずです。浄土真宗の詳細について私は不得手ですが、阿弥陀如来とその脇仏としての観音菩薩と勢至菩薩だけを信仰するイメージですね。日蓮門下でも、余り観ないです。」
浄土真宗ではお地蔵様は認めていないってこと?
それなのに、地蔵祭で浄土真宗のお坊さん読んで、お経を頼んだのだが、筋違いか?
以前は頼んでなかったとも聞くし
なんか、いろんな祭祀がグダグダ
で地蔵祭ではお経をあげたけど、どんな内容なのか気になるなあ
そもそもお経ってなんだろう? 気にはなるけど数限りないお経を調べる気にもならん
調べるなら神道だし
姫小川町 浅間神社
444-1161
愛知県安城市姫小川町姫40番地
町内会第2公民館(土曜日13時から15時)
TEL0566-
宮係 永見幸久 090-2929-1140
宮係 榊原恒明 080-5124-5847
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